五島軒の歴史

History of Gotoken

創業者の若山惣太郎と、旧幕府軍として箱館戦争を戦った初代料理長・五島英吉が
1879年に函館で出逢い、そして五島軒が誕生しました。

明治11年 五島軒初代若山惣太郎が函館に。この年、二代徳次郎が東京で出生。
明治12年 4月 初代若山惣太郎が富岡町でパン屋を開業。
長崎県五島列島の五島英吉の協力を得て、旧桟橋付近でロシア料理、
パン、ケーキの店を開業。
明治19年 4月 店舗焼失。旧八幡坂下(末広町15)に西洋料理店を開店。
新店舗が繁盛し「客室取り広げの披露」の広告。
明治33年 財団法人函館競馬会認可、場内食堂を開業。
明治34年 4月 二代目若山徳次郎基坂下末広町1番地、日本銀行隣接地に
3階西洋料理店を新築移転(撞球場併設)。
二代目若山徳次郎、東京・帝国ホテルへ修行のため出張。
明治40年 8月 函館大火で全焼。末広町の現在地に、新店舗を新築移転。
大正6年 4月 初代惣太郎が亡くなり、長男徳次郎が相続。
大正10年 4月 函館大火で全焼。旧桟橋のビルおよび焼け跡に仮店舗で営業。
大正11年 現在地に一部鉄筋コンクリート、地下1階、地上3階の店舗を新築。
2階の一部と3階でホテル業を併業。
大正末期~昭和初期 函館船渠(株)休泊所内に食堂・売店を出店。
昭和5年~9年 森屋百貨店6階食堂に出店。
昭和6年 10月 小樽市花園町の千代田火災㈱北海道支部新社屋の地階と4、5階に支店を新設。
昭和9年 3月 函館大火で本店全焼。3ヶ月後市内3ヶ所で仮店舗を設け営業。小樽支店を閉鎖。
昭和10年 9月 現在地に一部3階、地下1階の本店を新築。函館市内で初めて神前式場を設置。
昭和13年 4月 三代目 若山徳次郎二代目徳次郎急逝。長男(勇)徳次郎を襲名し三代目となる。
昭和16年 1月 三代目徳次郎が函館71部隊(函館重砲連隊)に入隊。
昭和19年 3月 西洋料理店を理由に函館警察署長名で営業禁止。
翌月三代目召集解除で帰還し、函館警察署長と交渉し即日営業再開。
昭和20年10月 本店を米軍が接収。第9軍団第77師団の司令部を設置。
市民会館(現江口眼科病院向い)を函館市より借用し営業を続ける。
昭和25年 5月 五稜郭電停前に五稜郭支店(軽食堂、惣菜、化粧品他)を開店。
昭和25年 8月 本店の米軍接収解除。翌年函館より貸与された市民会館を返還。
昭和35年 4月 本店隣接地に懸案の冷蔵室、食品加工場を1階、洋菓子工場を2階に新設。
昭和40年 2月 末広町13番地の店舗を改修し十字街支店を開店。(精肉業を併業)
昭和42年 7月 函館駅前の「拓銀ビル」7階に「駅前店(レストラン ブルボン亭)」を開店
昭和43年11月 五稜郭に一部5階建のビルを新設し、支店を移設開業。
昭和45年 7月 市民会館の新築で館内食堂、売店を出店。
昭和50年 5月 市民体育館の新築で軽食堂を出店。
昭和54年11月 三代目徳次郎、函館市文化賞受賞。
昭和55年 9月 イトーヨーカ堂函館店のテナントとして洋菓子店を出店。
昭和57年 2月 札幌プランタンデパートで洋菓子を委託販売。
昭和57年 7月 函館市役所新庁舎落成に伴い、庁舎8階に喫茶店を出店。
昭和57年 9月 五稜郭支店を売却閉店。
昭和57年12月 開店した棒二森屋アネックスに洋菓子店開店。丸井今井函館店に洋菓子店開店。
昭和59年 4月 法人化し、株式会社五島軒設立。
本店隣接地に別館及び洋菓子工場を新築。合わせて、「レストラン雪河亭」開設。
昭和59年 6月 本館内にメモリアルホール「蘆火野」を新設。メモリアルホール「蘆火野」
昭和60年 9月 四代目 若山直三代目徳次郎が会長、四代目直が社長に就任。
昭和63年 4月 グレードアップした「本店レストラン雪河亭」新築オープン。
従来の雪河亭を「雪河亭ラウンジ」と改称。
昭和63年 5月 函館ツインタワー内に洋菓子店を出店。
昭和63年 7月 青函博覧会会場に「キリンビア・レストラン五島軒」として出店。
平成元年10月 メモリアルリッチ鴨カレーコース天皇・皇后両陛下、
五島軒へ行幸啓御昼食に二代目徳次郎のメニュー、
「リッチ鴨カレー」をお召し上がりいただく。
平成3年 4月 本町にビアレストラン「ビアアベニュー・ハートランド五島軒」を開店。
平成5年 1月 洋菓子、カレー製造の上磯第一工場竣工稼動。
平成6年 4月 市民会館食堂撤退。
平成9年 5月 本店旧館が国登録文化財に北海道第一号に登録される。
平成9年 7月 レトルトカレー製造の上磯第二工場竣工稼動。
平成11年 5月 三代目徳次郎、フランス政府より「国家功労章」を受章。
平成12年11月 函館の食文化育成と「函館ブランド」の全国発信に貢献したとして
「北海道新聞文化賞(経済部門)」を授与。
平成14年 5月 関東地区業務拡大につき東京営業所設立。
平成14年 9月 本店・本館(国登録有形文化財)隣接家からの出火により罹災。
平成14年12月 本店。本館修復完成。
平成18年 4月 三代目徳次郎、「旭日双光章」受章。
平成19年 4月 新装の「五稜郭タワー」アトリウム2階へ、
カレー専門店「函館カレーEXPRESS」出店。
平成27年9月 伝統の洋食のほか、お酒とピンチョスが楽しめるカジュアルな新店舗「洋食バル五島軒」を、札幌大通りの商業ビル「ル・トロワ」にオープン。
平成29年3月 「洋食バル五島軒」を札幌駅前の商業ビル「札幌フコク生命越山ビル」内の新名所「sitatte sapporo」にオープン。
平成29年6月 「洋食バル五島軒」を札幌大通りの商業ビル「IKEUCHI ZONE」にオープン。
平成29年11月 「洋食バル五島軒」を埼玉県大宮駅の商業施設「ルミネ大宮 LUMINE2」にオープン。
ギャラリー

記念映像「五島軒 140年の歴史」

140th Anniversary Movie

五島軒本店内の調度品

Furniture of  Gotoken

五島軒本店内には随所に館内を彩る美術品の数々を展示。
北海道・函館の歴史を今に伝える絵画もお気軽にご覧いただけます。

 館内には女神と料理をモチーフにしたステンドグラスや、舟越保武、桂、羽生輝の他、田辺三重松、岩船修三など函館ゆかりの絵画、彫刻と、古地図や版画等を展示しており、ご自由に見学していただけます。

メモリアルホール蘆火野(あしびの)

Memorial hall Ashibino

本店内正面スーツ&デリカ「Ashibino」内に、メモリアルホール「蘆火野」を設置。
レストラン「雪河亭」の由来となった「小説 蘆火野」の作者、故船山馨氏の偉業を讃えています。

北海道が生んだ小説家・故船山馨は、五島軒を題材として「小説 蘆火野」を朝日新聞に連載されました。
メモリアルホール蘆火野には生原稿と佐藤忠良氏の挿絵の他、創業の頃より使用した洋食器、調度品、絵画等を展示致しております。

 およそ130年前、日本の夜明けを告げる明治維新と革命の歌声響くパリーコミューン。日本から渡仏してコック修業にはげむ河井準之助と妻おゆきは、いつか動乱の過中にまきこまれてゆきます。

「生まれる子が物心のつくころには、おいら達も日本に帰れるだろう。函館に戻ったらあの街の人達が喜んでくれるような喰物を作っていけたら本望だ。おいらな、もう店の名も考えてあるんだ」
「まあ、なんていうんですか」
「お前とおいらの店だから雪に河と書いて”せっか”と読ませる、雪河亭てぇんだ」
「雪河亭・・・」
「北の国の雪の降る日の河の姿だ。静かで深くて、ほんのちょいと粋でどうだい・・・」
「ほんと。しんとしてきれいで、とてもいい名ですね」
「大きな構えでも派手な店でもねえが、フランス料理なら函館に雪河亭てぇ店がある。値段は手頃だが、味は飛切りだ。人様がそう言ってくれるような店なんだ。」

 準之助がパリで死去してから20年後、おゆきはコックとして成人した息子寛と共に帰国の途についた。準之助とおゆきの青春を秘めた函館基坂下の雪河亭は、現在寛から数えて三代目に当たる。
 人目にたたない仕舞屋のようなつつましい店構えではあるが、味は飛切り値段は手頃、という準之助の夢は店の名と共に今も生きている。